原状回復はどこまで請求できるか|クロスは6年で価値1円になる

敷金の精算は、賃貸経営で最もトラブルになりやすい場面です。そしてルールを知らないまま請求すると、ほぼ確実に揉めます。

この領域には明確な基準があります。国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」と、2020年施行の民法621条です。この記事では、その中身と、北海道での実務を整理します。

大原則──通常損耗と経年変化はオーナー負担

民法621条は、賃借人の原状回復義務について次のように定めています。賃借人は損傷を原状に復する義務を負うが、通常の使用によって生じた損耗と経年変化は除く——2020年の改正で、この点が条文上明確になりました。

ガイドラインでは、建物の価値の減少を3つに区分しています。

区分内容負担者
経年変化時間の経過による自然な劣化(日照によるクロスの変色など)オーナー
通常損耗通常の住まい方で生じる損耗(家具設置による床のへこみなど)オーナー
故意・過失等賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、通常でない使い方による損耗入居者

なぜオーナー負担なのか——通常損耗の回復費用は、あらかじめ賃料に含まれていると考えられるからです。二重に取ることはできない、という理屈です。

決定的なルール──経過年数による減価

ここが実務で最も重要な部分です。

入居者の過失による損傷であっても、その部材の価値は入居期間中に減っています。新品同様に張り替える費用を全額請求すれば、オーナーは古くなった部材を新品にする利益を得てしまいます。

そこでガイドラインは、経過年数に応じて入居者の負担割合を減らす考え方を採っています。

対象耐用年数の扱い
クロス(壁紙)、カーペット、クッションフロア6年で残存価値1円
設備機器(給湯器など)8年で残存価値1円
畳表、襖紙、障子紙経過年数を考慮しない(消耗品に近いため)
フローリングの部分補修経過年数を考慮しない(将来的な全体張替えが一般的なため)
フローリングの全体張替え建物の耐用年数で経過年数を考慮

具体的に計算してみる

入居者がクロスを毀損した場合を、入居年数別に見ます。張替費用を6万円とします。

入居年数クロスの残存価値入居者に請求できる額
1年約83%約5万円
3年50%3万円
5年約17%約1万円
6年以上1円実質的に請求できない

6年以上住んだ入居者に、クロスの張替費用を請求することは実質的にできません。タバコのヤニで真っ黒になっていても、です。

これは驚かれることが多い点ですが、減価償却の考え方に沿った合理的なルールです。6年経ったクロスは、いずれにせよ張り替え時期を迎えています。

ただし施工単位は「一面」まで

もう一つ知っておくべき点があります。クロスの毀損では、色合わせの必要から、毀損箇所を含む一面分までは張替費用を入居者負担とするのがガイドラインの考え方です。

つまり「1か所の穴だから、その部分だけ」ではなく、一面単位で計算し、そこから経過年数を控除する——これが正しい手順です。

入居者負担になる具体例

ガイドラインが挙げる例です。「何が入居者負担か」を事前に共有しておくことが、トラブル予防になります。

部位入居者負担になる例オーナー負担になる例
床引越作業の傷、飲み物をこぼしたシミの放置、冷蔵庫下のサビ跡(放置による)家具設置によるへこみ、日照による変色
壁タバコのヤニ・臭い、下地ボードの交換が必要な釘穴、結露の放置によるカビ画鋲・ピンの穴、冷蔵庫裏の電気ヤケ、日照による変色
建具ペットの引っかき傷、故意による破損通常の使用による摩耗
設備鍵の紛失、清掃を怠ったことによる油汚れ・カビ設備の経年劣化による故障

タバコと鍵の紛失は、争いになりにくい入居者負担の代表例です。逆に、画鋲の穴や家具のへこみを請求するのは、ガイドラインの考え方に反します。

東京ルール(賃貸住宅紛争防止条例)とは

東京都には賃貸住宅紛争防止条例という条例があります。通称「東京ルール」です。

背景には、東京都に寄せられる賃貸の相談のうち相当な割合が敷金の精算と修繕費に関するものだった、という事情があります。

内容

この条例は、宅地建物取引業者に対して、契約前に書面で説明する義務を課しています。説明の対象は次のような内容です。

  • 退去時の原状回復について、通常損耗・経年変化はオーナー負担が原則であること
  • 入居中の修繕について、誰が負担するのが原則か
  • その契約で、原則と異なる特約を設けている場合はその内容

適用範囲

この条例は東京都内に所在する物件のみが対象です。判定基準は仲介業者の所在地ではなく、物件の所在地です。

したがって札幌の物件には適用されません。北海道には同種の条例がありません。

北海道に条例がないからこそ必要な2つの実務

条例がないということは、説明が義務づけられていないということです。したがって、オーナー側が自主的に運用する必要があります。

実務1|入居時の状況を記録する

これが最も効きます。入居時点の傷・汚れを記録しておかなければ、退去時に「元からあった」「入居者がつけた」の水掛け論になります。

やり方は難しくありません。

  • 入居時に各部屋・各面の写真を撮る(日付が分かる形で)
  • 入居者立会いのもとでチェックシートに記入し、双方が署名する
  • 既存の傷・汚れは、その場でシートに書き込む
  • 入居者にも同じ写真とシートの控えを渡す

この作業に30分かければ、退去時の交渉が数時間短縮されます。しかも入居者側にとっても安心材料になり、信頼関係の起点になります。

実務2|退去立会いと書面での取り交わし

退去時は、必ず入居者立会いで確認してください。北海道の相談窓口でも、立会い確認と書面での費用の取り交わしが推奨されています。

  1. 入居時の記録と照合しながら、一緒に確認する
  2. 入居者負担とする箇所について、その場で根拠を説明する(ガイドラインのどの区分に当たるか)
  3. 経過年数による減価を適用した金額を示す
  4. 金額に合意したら、書面に署名をもらう

3番を飛ばすと揉めます。「クロス全面張替え6万円」ではなく、「入居4年なので残存価値は約33%、請求額は2万円」と示せば、納得は得やすくなります。

特約は有効か

契約書に「退去時にハウスクリーニング費用として3万円を負担する」といった特約を入れているケースがあります。これは直ちに無効ではありませんが、条件があります。

ガイドラインおよび判例の考え方として、通常損耗を入居者負担とする特約が有効とされるには、おおむね次が必要とされています。

  1. 特約の必要性があり、暴利的でないなどの合理的理由があること
  2. 賃借人が、通常の原状回復義務を超える負担であることを認識していること
  3. 賃借人が、その義務を負うことについて意思表示していること

実務的には、金額を具体的に明記し、契約時に口頭でも説明し、その旨を記録に残すことが必要です。「別途定める」「通常の範囲で」といった曖昧な書き方では、争いになったとき無効と判断されるリスクがあります。

また消費者契約法により、消費者の利益を一方的に害する条項は無効とされる可能性があります。相場からかけ離れた金額の特約は避けてください。

札幌の物件で追加で押さえること

  • 結露とカビ——寒冷地では結露が発生しやすく、退去時に最も争いになる項目です。換気を怠った結果のカビは入居者負担、建物の断熱性能に起因するものはオーナー負担という切り分けになります。入居時に換気の重要性を書面で説明しておくと、判断の根拠になります
  • 灯油ストーブの使用跡——壁や天井のススは、使用方法によって判断が分かれます。使用可否と条件を契約書に明記してください
  • 凍結による設備破損——水抜きの説明を書面で渡していたかが分岐点になります

管理会社に確認すること

  1. 入居時のチェックシートと写真は、どのように残していますか
  2. 退去立会いは必ず入居者同席で行いますか
  3. 経過年数による減価を適用した見積書を作れますか
  4. 直近1年で、原状回復費をめぐって争いになった件数は何件ですか
  5. 原状回復の工事は相見積もりを取りますか

3番が特に重要です。「クロス全面張替え◯万円」としか書けない見積書では、入居者は納得しません。経過年数を反映した内訳を出せる会社は、この領域を理解しています。

まとめ

  • 民法621条とガイドラインにより、通常損耗と経年変化はオーナー負担が原則
  • クロス・カーペット・クッションフロアは6年で残存価値1円。6年以上の入居者には実質的に請求できない
  • 畳表・襖紙・障子紙とフローリングの部分補修は、経過年数を考慮しない
  • クロスは毀損箇所を含む一面分まで入居者負担としたうえで、経過年数を控除する
  • 東京ルール(賃貸住宅紛争防止条例)は東京都内の物件のみが対象。北海道には同種の条例がない
  • だからこそ入居時の写真とチェックシート、退去立会いと書面での取り交わしを自主的に運用する
  • 通常損耗を入居者負担とする特約は、必要性・認識・意思表示の3点が揃って初めて有効とされる

原状回復のトラブルは、ほぼ全て「入居時の記録がないこと」から生まれます。次の入居者から、写真とチェックシートの運用を始めてください。管理会社が対応していない場合は、その理由を聞いてみる価値があります。

失敗しない賃貸管理会社の選び方 オーナーが最初に確認すべき3つのポイント

1

入居率を公開しているか

公開している会社は、それだけ数字に自信がある証拠です。非公開の場合は、直近の実績を面談で必ず確認しましょう。

2

オーナー・入居者の対応窓口があるか

専用アプリなどオーナーが状況を確認できる仕組みと、入居者からの連絡を24時間受けられる体制。ここが手薄だと、対応の遅れがそのまま退去につながります。

3

原状回復工事の費用負担はどうか

退去のたびに発生する原状回復費は、収支を大きく左右します。オーナー負担が実質0円になる仕組みを持つ会社もあるので、必ず確認しましょう。

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